昨日書いた「足るを知る」の話の続きです。
この時期だからかな。今日の昼に唐突に思い出した事があって。
恐らく3歳から5歳の頃、私の家ではクリスマスの朝に起きたら、毎年枕元にお菓子の入った長靴が置かれていました。
スーパーでクリスマスシーズンによく見かけるアレです。1000円弱くらいの長靴お菓子。
私はそれを楽しみにしていて、クリスマスの朝に見つけて喜び、サンタさん(私は疑う事なく信じていました)から貰った長靴のお菓子を何日もかけてチビチビと食べていました。
ところが、ある時に、保育園の友達がクリスマスプレゼントに、お菓子じゃなくて、立派なおもちゃを貰っているという事が分かり。
今まで楽しみに喜んでいた、長靴のお菓子が酷くちっぽけで取るに足らないものの様な気分に幼いながらも感じました。
そして、とあるクリスマス前、次は、サンタさんが私にもおもちゃを持って来るのかな?と思い、ワクワクして寝たら・・・・。
また起きたら長靴のお菓子が置いてあったので、私は「お菓子は要らない。おもちゃが欲しい。」とクリスマスの朝から、ワンワン泣き叫び(笑)
うろ覚えですが、その後に、両親がおもちゃ屋さんに連れて行ってくれたと思います。
はじめからおもちゃが欲しいと言えばよかったのですが、両親がサンタさんとは知らなかったので。
他の子がおもちゃを貰っていると知らなければ、私は長靴のお菓子で満足していたでしょう。
ただ、幼い私に「足るを知りましょう」なんて言っても分かるはずもなく。幼くなくても
今はSNSの力で、他の人の生活が見えるようになったので、幼い私が感じた事が日常的に起こっていて。
過去に起こった事が繰り返し繰り返し、姿形を変えて目の前にくる。
そして、知足って欲しい、羨ましいと思う気持ちに蓋をする事ではないの。むしろ、欲しい気持ちを感じる事。
そんな事を思いながら
今日は、小さな私をイメージで抱きしめてみました。父や母、そして同じように長靴のお菓子を貰っていた年子の弟の事を思い出し、ちょっとだけ涙が出ました。
過去の自分が持ってたものが消化出来た様に感じます。
これがどの様な作用があるかは今は分かりませんが、確実に私の中で何かが変わった気がしています。
足るを知るって欲を持つなという事でも、人とくらべるな、人の物を欲しがるなという事でもない。
くらべてしまう、欲しがる自分を感じ切る。行動する。いきなり中庸にはいけないから、やってみるしかないです。やってみて違ったら辞めればいいし、頭で(羨ましがってはいけない)と悟ったふりして押さえつけないのも大事です。
やり切った時に、それが上手くいかなかったとしても、その人なりの答えが必ず出ます。
一人で感情を解放するのは大変なので、RASもツールの一つとしてあります。ホントに!!!!
ちなみに、その後のクリスマスは、おもちゃとか好きな物を貰っていたはずなのに、長靴のお菓子以外のプレゼントは何も覚えていないのです。